おっさんは伝えたいんです。

地方都市で新築した40代おっさんの備忘録です。ただただ書きたいことを書いていきます。

忘れもしない日

2011.03.11  東日本大震災 この話題がほとんどでしょう。

 

私は当日,津波の被害には遭いませんでしたが,停電で交通網が麻痺し,帰宅難民となったという意味では広義の被災者となるのでしょうか。

 

別に怪我人がいたわけでも,家が流されたでも,火事があったでもない。

 

ただ,停電しただけ。

 

でもあの時は心細かった。

 

地震の2時間後,日が暮れ始めたころ職場の最寄り駅に向かう。

 

着くとそこはもうパラレルワールド

 

人もいなければ,なんのアナウンスもない。

 

駅も完全に閉まっている。

 

同じように仕事帰りで駅に向かうであろう人も途中で姿を消している。

 

軽くパニック。

 

今朝もそれなりの人数が電車で来てるはずなのに誰一人いない。

 

地方での勤務1年目なので勤務エリアにそれほど馴染みがない。

 

交番も停電かつ不在(巡回中だったのか?)

 

頼みの携帯も当時はスマホではないため,情報収集ができず,バッテリー残量も残り30%程度の上,電話がつながらない。

 

駅前に誰もいない光景なんて見たことがなかったので,職場に戻ろうかと思案していたときに大光量を発する1台のハイエースが。

 

「お,行政関係か?」と期待してふらふら寄って行ったら某放送協会の車。

 

「取材いいですか?」

 

「車に乗せてくれたら」

 

「あ,無理なんです」

 

「じゃあどこ行けばいいか知らない?」

 

「うちもまだ混乱中で」

 

・・・

 

ますますメディアを嫌いになった瞬間です。

 

救いだったのはドライバーさんが「ここじゃダメ。〇〇〇行けばたぶんタクシー拾える」って教えてくれたこと。

 

インタビュアーとカメラと音声が次の人を探して歩いてどっかいった最中にこそこそって。

 

メディアの正義はドライバーにあり。

 

情報を得た私は,なんとか自宅に帰ることができました。

 

 

 

後日,朝の通勤電車でよく世間話をする顔見知りの公務員に「あの日どうやって帰ったの?」と聞きました。

 

「あの日は停電後,何本か臨時バス出すことになった」

「乗れなかった人は,同僚の車やタクシーで帰った」

 

・・・ほうほう

 

臨時バスの情報はどこで知ったの?って聞いたら

 

「なんか連絡があった」

 

・・・ほうほう

 

あれ,でも相当の人数いるよね,お宅の会社?って聞いたら

 

「いやぁ,まあ」

 

・・・ほうほう

 

私が公務員にさらに失望した瞬間でした。

 

別に責めるわけでもないし「公務員だろ」というつもりもないんです。

 

実際,処理に当たって尽力した方が大半だろうし。

 

ただ「そういう情報は鉄道会社と連携して,もう少し知らせる方法があったろ」と言いたいんです。

 

最悪「今日は待ってても無駄」くらいは知らせてよ。

 

駅には張り紙すらなく,行政職員の1人もいなかったのは事実です。

 

地震発生から2時間もたってから帰ろうと思った私も異常といえば異常です。

 

当時の私は危機管理能力がなさすぎでした。

 

でもだからこそ,そんな情報弱者向けに公的機関にはある程度情報は置いておいて欲しかった。

 

正直,駅前に着いた瞬間にわかったよ。

 

「今日はもう公共交通機関はダメだ」って。

 

けど,同時にこう思ったよ。

 

「ワンチャン特別便とか出るかも?」って 

 

これが正常性バイアスなんだろう。

 

ただ,あの経験は私を少なからず変えました。

 

自然に対しては「まあなんとかなる」「死にはしない」は通用しない。

 

人間ができるのは【備えて】【逃げる】これしかない。と